海に眠る⑴

西の海の、その底には、彼女が愛した彼女が眠っているのだという。


潮騒が彼女の声をかき消す。僕は彼女が泣いているのかと思ったが、ただ寂しそうに海を見つめているだけだった。シンプルな黒いワンピースが風に揺れている。
夏の灼けつくような陽射しの下で、偶然この小さな岬にただ居合わせただけの見知らぬ僕に、彼女はなぜかたくさんの秘密を教えてくれた。それは、彼女たちが愛し合って生きていたこと。この岬で手を繋いで海を眺めながら二人が生きた日々のこと。それが、許されなかった、ということ。

僕は悔しくてたまらなくなった。
「二人には二人の世界があって、二人にしか分からない世界があるでしょう。二人だから見える世界があるでしょう。その世界の住人じゃない僕たちに、どうしてそれを否定できますか?」
僕は彼女たちが二人の愛を秘密にしなければいけなかった理由を分かっていたはずなのに、それでもそんな理由を、二人が許されない理由を分かりたくなくて、彼女を責めるように問うてしまう。どうしようもないのに。責めたかったのは彼女ではなかったのに。すみません、と小さく呟く。本当に責めたいのはこの世の中なのに。

「人を愛することは尊いことだと、人は皆言うけれど、世間が認める愛には、条件があるんですって。可笑しなことね。きっと愛も恋も知らない人たちなのよ」
彼女はクスクスと笑っていたが、からだの底で泣いているのがわかる。

二人だけの世界で生きることなんてできないじゃない。世間の目はいつも厳しくてね。何にも縛られずに生きることは難しくてね。と彼女は静かに語った。
泣けばいいのにな、と僕は思った。きちんと泣かないと、哀しみは心の底にずっと沈殿したままになってしまうから。
それが涙が出ないのよねー、と彼女はまた笑った。
 そして、「ねぇ、最後の秘密を聞いて」と、一九八五年の冬のことを教えてくれた。